未だに名詞の格変化があやふやである(сумкаの複生смокに驚き、человек複生が単主と同じчеловекで面食らう日々)。その昔、一念発起して、城田先生の「現代ロシア語文法」(旧版)の第8課を徹底的にやったことがあり、そのときはかなり変化パターンが身についたつもりだったのだが、その後すっかり忘れてしまった。そこで、「これではいかんざき!」と、再び前掲書の第8課の復習に取り掛かっている。
すっかり忘れてしまったとはいえ、一度やっているので頭に免疫ができているのかもしれない(と信じている)。今回は記憶の定着率がよいような気がする。あとは、興味関心が高い時に覚えたことはよく記憶している。嫌々ながら勉強したところは、どうも忘れやすいようだ。大人になって「記憶が落ちた」と感じるのは、学習対象に対する熱意が薄れていることが大きいらしい(中高生や学生の頃は試験があったのでそれなりに必死だった)。
…それなのに(筆者注:神経細胞の総数は歳とともに減っていくが、シナプスの数はむしろ反対に増えていくことを指している)人は「年のせいで覚えが悪い」と嘆きます。この嘆きはたいへんな間違いで、私から見れば、そういう人は単なる努力不足であるように思います。そしてまた、昔自分がものを覚えるために、どれほど努力したのかを忘れているのです。勉強がその生活の大半を占める学生時代でも、ひとつのものごとを習得するのに、かなりの時間と労力を必要としたはずです。こうして苦労した経験を忘れ、ただただ老化を嘆くのはとても愚かな行為です。
一方、「もの忘れがひどい」とグチをこぼす人がいますが、それもまた、忘れてしまって思い出せないのではなく、単に初めから覚えていないということではないでしょうか。覚えたつもりになっている、その勘違いは記憶力の停滞を引き起こすことがあります。もし、皆さんが、今までこうしたグチをこぼしていたとしたら、それは誤解ですから、ここであらためてください。このようにマイナス方向に自己暗示をかけてしまう行為は、正常な記憶力を妨げてしまいます。(池谷裕二著「記憶力を強くする」、講談社ブルーバックス、2001年、p187-188)
池谷先生はなかなか手厳しい。年齢を言い訳にすることなく、こつこつ努力しなければと思う。